アラビアの夜
▼映画「ア.ラ.ビ.ア.の.ロ.レ.ン.ス」をベースにした話です。
▼史実<映画より。歴史もきちんと勉強しようと思います。
▼映画の内容が内容なので、少しでも不快感がありましたら閲覧はご遠慮ください。
▼時間軸としては、ダマスカス進軍中。オスマン帝国軍との戦闘後。
▼実在する国家、史実、人物、団体とは一切関係ございません。またそれらを誹謗中傷する意図はございません。
月が空に浮かんでいる。
三日月は鋭く、薄暗く砂漠を照らしていた。
そんな中、ぽつんと一人の青年が座っている。
横にはのっぺりとした表情をしたラクダが控えている。
アラブの民族衣装を身にまとった青年は緑の瞳をしていた。
金の髪は大きな布にすっぽりと覆われてしまっている。
時折強く吹く風や砂から身を守るため必要最低限の肌しかさらされていないが、それでもその肌がこの土地には不釣り合いなほど白いことは分かる。
西洋で生まれた青年はただただ砂を見つめていた。
背後で砂を踏む音がする。
しかし青年は振り返ることもせず、そのまま目の前に広がる砂漠から視線を逸らさなかった。
「こんなところで一人か」
暗に無謀だと言ってくる男の声に、青年は低く笑った。
「死にはしない」
「それにしたった案内もなしにこんなとこうろついてたら危ぇだろう。慣れてねぇくせに」
ぞんざいな仕草で、男は青年の隣に座りこんだ。
普段目にする衣装とは違い、男もこの土地の民族衣装を身にまとっている。
「なんでそんなもん着てるんでぃ」
その言葉に青年は答えなかった。
「ま、おおかたこっちと同じなんだろうが」
男は溜息をついた。
ちらりと青年が視線を隣の男へと移す。
緑の瞳が、男の姿を映した。
「……見てきたのか」
「お前さんも……って聞くまでもねぇか」
男からは死臭が漂っていた。
青年もまた同じ。
「ひでぇもんだ」
声に感情は無い。
けれどそれは間違いだと、男の仮面の下の瞳を一目でも見れば分かった。
青年は仮面の下に隠れた黒い闇を覗いた。
抑えきれないほどの感情が渦巻き、溢れかえりそうになっているのが見える。
それは沢山の染料をぶちまけて乱暴にかきまぜ作ったような黒だった。
その身の一部である人々の死を目の当たりにして、この男は怒っていた。
しかし、一方的に怒りをぶつけられぬことも承知している。
「……お前んとこの奴だがな、壊れちまいそうだったぞ」
ただひたすらに突き進む一人のイギリス人。
たった一人の部族。
砂漠の地と、母国と、人々の欲望の中に放り込まれた、一人の男。
「……仕方がない。奴はただの人間なんだから」
きっと彼の理想は打ち砕かれるだろう。
彼はどうあがいたところでイギリス人でしかなく、ただの人間なのだから。
「それよりも、よその人間を心配してる場合じゃないんじゃないか」
ふいに、青年は隣の男の仮面を取った。
現れた男の顔には覇気がなく、いつだかの栄光は影を潜めていた。
たっぷりとした布から手を差し込み、男の胸を撫でた。
「ぅっ……」
男の眉がひきつった。
じわりと青年の指先が塗れる。
指を引き抜くと、白い指先が赤く濡れていた。
すん、と鼻を鳴らす。
「……濃いな」
「なっ、」
指先の血を舐めとる仕草に、男は言葉を一呼吸の間言葉を失った。
「……お前ぇみたいな奴が魔性の女だって言われんだ」
呆れた物言いの男に、青年は面白くなさそうに鼻を鳴らし、皮肉げに唇を歪めた。
「性悪なのは自覚してる。……なんなら、そっちの趣味に合わせて相手してやってもいい」
揶揄されたことに男はむっとした表情を浮かべる。
「誰も彼もそんな趣味の奴だと勘違いされちゃ心外ってもんだ。お前さんとこにもいるだろうが」
「まあな」
青年は興味を失ったのか、適当に返事をするとラクダに体をもたれかけた。
「……ぜーんぶ、砂にかえってくんだな」
ここは凄い土地だよ。
男には青年が何を考えてそんなことを言っているのか分かりかねた。
どこか諦めにも似た声だ。
突然、青年が涙を零しているかのように見えて、男は手を伸ばした。
白い頬に触れる。頬は乾いていた。
砂漠の地には似合わない、灼熱の太陽の下では頼りない体。
伸ばされた手に、青年は自分のそれを重ねた。
そっと影が重なる。
ぱさついた感触がして、すぐに離れた。
青年は笑っていた。
「あんたになら抱かれてもいいと思うな」
「何もかも絞り尽くされちまいそうだから遠慮させてもらいてぇな」
男は立ち上がった。
「本当に一人で大丈夫なのか」
「大丈夫だ」
「……」
「……あんたも、今に俺のことを憎むようになる」
まあ、今も憎んでるかもしれないが。
青年はそう言うと再び砂へと視線を戻した。
何か言葉を返そうと思った男だったが、全てを拒否するような背中にかけるべき言葉が見つからなかった。
仕方なく、ラクダの背に跨る。
ぴし、と鞭打つ音の後に、砂を蹴る音。
砂漠には、金の髪と緑の瞳を持つ青年が一人。
ただじっと座っていた。